Sunday, March 09, 2008

Terima Kasih



インドネシアから無事帰国しました。



バリ島と妹の留学先、ジョグジャカルタ。
ふたつともぜんぜん印象が違うところ。
書いていたらいろいろと長くなってしまいそうだけど、とりあえず一番今思い出せるもの。
まずは、やっぱりおなかをこわしたこと、か・・・。
いきなり熱も出て、とりあえず病院行ったら
血液検査までして・・・。薬もらいました。
旅にはハプニングがつきもの・・・!
看病してくれた妹と彼に感謝っす。

それから、やっぱりインドネシア人の笑顔かな。
すっごく笑顔が素敵。
というか、笑顔を惜しまない、ってかんじ。
帰りの電車の中で、一緒に行ってた彼と、
インドネシア人は日本人よりも金銭的にはずっと貧しいかもしれないけど、
日本人より幸せそうに笑ってたよね、って話してた。



あと。インドネシア人たちの運転の激しさ。
これには降参・・・。
っていうかそもそも歩行者の存在はないと同然。
スクーター、バイク、車、バス・・・
思いっきりみんながみんなそろって自分勝手に運転。
クラクションは鳴らしまくり。車線なんてあっても意味をなしてませんでした。
中央車線も、ね。
やっぱり町中が音(騒音)に包まれてた。
これが熱気ともいえるかもしれないけど、必ずしもいいものではないなぁ。



物価の安さ。
食べ物があふれていること。
懐かしいインドネシア語を聞いていろいろと思い出したり。
・・・
そして、貧しさってなんだろう。とか考えた。
思ってたより全然物乞いを見なかった。
もちろんいないなんてことはない。
でも、食べ物があふれてて、一年中あったかい。
妹から、餓死というようなことがあまりない国なんだ、と聞いた。
貧しさ。
もちろんそれは金銭的な面から考えるのが一番簡単だろう。
物質的な「欠陥」、とか。
たとえば、あんなに暑い国で
「クーラーがなくて、お湯がでない」
この二つは普通らしい。
でも。
クーラーもなくて、お湯もでないなんて、なんて貧しいんだろう、かわいそう。
と思うのは間違いで、
彼らのニーズ、優先順位が違う。
上の二つがなくても、テレビやバイクは所有しているとか。
自分で自分を貧しいと感じることっていうのは
ただたんに収入を比べただけではだめ。
数字の上ではかなり貧しい人でも、毎日の生活の中で自分を貧しいと感じない人もいるわけで。



町中を歩いていると、新宿や渋谷のほうが生活に苦しんでいる人が多いのじゃないか、とも感じてしまう。
ただ、スラム街は見えないところにあったりする。
日本でも格差と言われているけれど
インドネシアの格差はそれとは比べ物にならないようなものだし。
そして「汚職」という大問題。



経済的な貧しさ、金銭面における相対的な貧しさっていうものの信憑性ってなんだろう。



とにかく、貧しさというのは簡単に数字で図れるものじゃない。
ということに改めて気づいた。



この国に私はものすごく久しぶりに
たったの8日間だけ訪れた。
だから結局私の目は「観光客」のそれでしかない。
ようはお客さん。
感じたことも見たこともそれなりにあっても
問題の根源とか、それ以上のところには行けない。
旅行には常にそういう壁がある。
そしてその壁を旅行という短期間の間で乗り越えて
無理に向こう側を見ようとしたり、手を出そうとしたりするのは
結局自己満足に終わってしまうだろう。
だって、彼らの生活を少しだけ垣間見て
結局自分は日本に帰ってしまうから。
現地で見て、感じたことをどんなかたちでもいいから自分の一部にできればベスト。

現地で元気に留学中の妹にTerima Kasih!

ただいまー。