Wednesday, May 28, 2008

ぷかー

研究するにあたって先生からのお言葉:

「風が吹いていて、その中にいる。ではないんですよ。
その風がどこから吹いて、どこに向かっているのか、なんです。」

当たり前のことなのに、ものすごくはっとした。

「あなたが話すと同時に、そこでも言説をつくりだしているんですよ。」

考えることが増えたし、
昨日も今日もぐだぐだ考えながら
けっきょく堂々巡りしながら

ベランダでぷかぷか・・・。

そしたら下の道を、
爆音でQueenを流しながら車が一台・・・。

Tuesday, May 20, 2008

当たり前なリアクション。

おばあちゃんが、携帯でちょっと困ったことがあって。
と電話してきたときのこと。

おばあちゃん:「お友達がね、softbankの携帯持ってるっていうのよ。」
私:「あ、そうなんだ・・・」
おばあちゃん:「最近softbankは携帯まで売り出したのねー。」
私:「最近・・・」(まぁ、vodafoneからsoftbankになったのは最近ってことか・・・)
おばあちゃん:「おもしろいわねー。なんでsoftbankが携帯だすんやろ。」

この辺でわかりました。

私:「おばあちゃん、softbankって携帯電話とか、インターネットの会社だからさ・・・。」
おばあちゃん:「え?!銀行とちゃうの?」

おもしろいというかsoftbankがわかりづらいというか。

うちのおじいちゃんおばあちゃんは携帯が使えます。
それだけでもすごいと思うけどね。

Wednesday, May 14, 2008

カテキョ

フランス語を教え始めた。

教えながらすっごく思ったこと。
フランス語って不規則多すぎ・・・
規則があるからね、って教えても
そのすぐあとには、
「あ。でもこれは不規則なんだ・・・」
・・・だって一番使う動詞がほとんど全部不規則だなんてね・・・

こんなんじゃぁ、フランス語って難しい、って思ってしまうのは無理ない。
実際簡単な言語じゃないんだなー。

私の教え方がまだまだ、っていうのも痛感する。
教えるっていうことはすごく難しい。
ただただ話せるから、っていうだけでは教えることなんてできない。
授業の前には、なにをどうやって教えるかの予習もしなきゃダメだし、
そしてもちろん、
生徒が必要としていること、どういう状況で学びたい、と思っているのか、っていうことも
ものすごく重要になる。

大学で第二外国語がフランス語、っていう人はたいていの場合、
目的=単位。
これだと教える側はもっともっと難しいんだろうな。

私は個人レッスンだからよかったー。
外国語を学ぶってことは、その国に興味がないと意味がない。
言葉は習得しただけだと意味がなくて、
文化も一緒にくっついてくるもの。

さらに言えば、話し言葉もかなり重要だしね。

なんだか教えるって難しい・・・。
でもそこに面白さもある。

Tuesday, May 13, 2008

wedding party

ヨットサークルの先輩の結婚披露宴。
海が一望できる素敵な場所。
着飾った人たち(カジュアルなかんじの人も数名いましたが・・・w)
幸せそうなお二人。

来てる人がみんなヨット関係者だったから
顔ぶれにはあまり新鮮味はなかったけど、
久しぶりの人たちがたくさんいたし、
同期もやっとそろった日だった。
まぁ、昨日も会ってたよね、っていう感覚だったけど・・・。

やっぱりあの二人が結婚したというのは驚きこそはあまりなくても
すごくうれしかった。

みんな少しずつ年を取るのは当たり前だけど、
あの場では永遠に学生時代の気分になれてしまう。

まぁ、学生気分ではあるけれど、
それぞれがいろんな環境で前進してるんだな、と再確認した。
「で、舞はどこで働いてるんだっけ?
・・・あ。院なんだ。じゃあ二年目?
・・・あ。一年目。へぇ~」って会話が多かった。

幸せな人たちを見て、素敵だな、と思った。
おめでとうございます。

Thursday, May 08, 2008

熱狂の日


la folle journee...
クラシックの音楽祭。

GWは、そのお祭りでボランティア。
基本的には、フランス人の記者に同行して、必要だったら通訳する、っていう仕事。

問題は、
その記者が、かかわった人たちにことごとく迷惑がられ、嫌われれるような
わがままさんだったこと。
だから、いろんなコンサートに行くたびに、
イベント側と記者側が険しい雰囲気になり・・・

そして通訳者というのは、
なぜか、とばっちりを受ける。
つまり、両方ともお互いの言ってることがわかんない。
でも、怒ってる。
通訳中でも口をはさんで、何言ってるの?って聞いてくる。
そして両方とも、怒りをあたかも通訳者が悪者かのようにぶつけてくる。

一度は、スタッフに、こちらの不手際なのに、通訳さんに荒い口調で話をしてしまいすみませんでした。
って言われたくらい。

まぁ、でもでも。

ものすごくたくさんの演奏を
久しぶりにホールで聴けた。

音は触れないし見えない。
シューベルトやベートーベンの曲は
何度も聴いたことがあっても、その日、その場で聴けるその人の演奏は
その場限り。
何百年も前に作曲されたものでも、永遠に「現代的」とはそういうことかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・
「まずはじめに自分が何者であるかを断定し、そのうえで、勇気をもってそのアイデンティティを手放し、それによって帰還の道を見いだす。これが音楽の本質」

Thursday, May 01, 2008

Ramallah Concert

昨日の夜、DVDの二枚目を観た。
一枚目はドキュメンタリーで、ラマラでのコンサートは実現できない、っていうとこで終わる。
二枚目は、それが実際に実現したときのコンサート。
サイードはもう他界してしまっているけれど、プロジェクトは続いていて、
そして実現したっていう部分。

コンサートが内容の大部分だと思ってた。
でもこのプロジェクトのものすごく大事な部分が
一番最後のシーンに凝縮されていた。

彼らが「歴史的」と言うくらいのコンサートは
無事に終了。

しかし、コンサート直後。
ラマラという地に来た(来てしまった)イスラエル人たちは、
仲間たちと別れを惜しむまもなく、
むしろ着替える暇も与えられずに
銃を下げた兵隊に囲まれ、
会場の裏から、軍隊のけたたましいサイレンの音と共に去っていく。
セキュリティの問題だから仕方がないんだ、と語るバレンボイム。

あまりにも切ないと思った。
ただ、ただ演奏に来ていただけ。
むしろ、平和を考えるためにきただけ。
それなのに現実はむごい。
人間が創り出した国境とか他者とか恐怖とか。
そんなものを背負わされて
国に帰らなきゃいけない状況。

涙が出た。