Ramallah Concert
昨日の夜、DVDの二枚目を観た。
一枚目はドキュメンタリーで、ラマラでのコンサートは実現できない、っていうとこで終わる。
二枚目は、それが実際に実現したときのコンサート。
サイードはもう他界してしまっているけれど、プロジェクトは続いていて、
そして実現したっていう部分。
コンサートが内容の大部分だと思ってた。
でもこのプロジェクトのものすごく大事な部分が
一番最後のシーンに凝縮されていた。
彼らが「歴史的」と言うくらいのコンサートは
無事に終了。
しかし、コンサート直後。
ラマラという地に来た(来てしまった)イスラエル人たちは、
仲間たちと別れを惜しむまもなく、
むしろ着替える暇も与えられずに
銃を下げた兵隊に囲まれ、
会場の裏から、軍隊のけたたましいサイレンの音と共に去っていく。
セキュリティの問題だから仕方がないんだ、と語るバレンボイム。
あまりにも切ないと思った。
ただ、ただ演奏に来ていただけ。
むしろ、平和を考えるためにきただけ。
それなのに現実はむごい。
人間が創り出した国境とか他者とか恐怖とか。
そんなものを背負わされて
国に帰らなきゃいけない状況。
涙が出た。
一枚目はドキュメンタリーで、ラマラでのコンサートは実現できない、っていうとこで終わる。
二枚目は、それが実際に実現したときのコンサート。
サイードはもう他界してしまっているけれど、プロジェクトは続いていて、
そして実現したっていう部分。
コンサートが内容の大部分だと思ってた。
でもこのプロジェクトのものすごく大事な部分が
一番最後のシーンに凝縮されていた。
彼らが「歴史的」と言うくらいのコンサートは
無事に終了。
しかし、コンサート直後。
ラマラという地に来た(来てしまった)イスラエル人たちは、
仲間たちと別れを惜しむまもなく、
むしろ着替える暇も与えられずに
銃を下げた兵隊に囲まれ、
会場の裏から、軍隊のけたたましいサイレンの音と共に去っていく。
セキュリティの問題だから仕方がないんだ、と語るバレンボイム。
あまりにも切ないと思った。
ただ、ただ演奏に来ていただけ。
むしろ、平和を考えるためにきただけ。
それなのに現実はむごい。
人間が創り出した国境とか他者とか恐怖とか。
そんなものを背負わされて
国に帰らなきゃいけない状況。
涙が出た。
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