Friday, November 07, 2008

Yes


人間社会の中で、認識とかステレオタイプっていうものほど簡単に再生産されて固定化してしまうものはないんじゃないかな。それを変えていくことってそうとうな時間がかかる。

アメリカでは、奴隷制度が廃止されてから140年以上経ってようやくここまできたわけで・・・。

でも、私はこの選挙戦の中で、なんで「黒人」とか「女性」っていうとこ、強調すんの?結局意識の中では人種とかジェンダーとしてしか人を見ることができてないわけでしょー。何も越えてない。とかいろいろ思ってた。

ただ、今回はもしかしたら、むしろ強調されたほうがよかったのかもしれない。

親の世代や、大学の教授たちは、「一昔前までは全く信じられなかったこと」という。
教授は、「なんせ私の時代はキング牧師の時代ですからね」って。
たしかに。白人とバスで隣に座ることが許されない、店ではいつも後回し・・・そんな黒人差別が激しかった一昔前の人たちがまだいるこの時代に、オバマがアメリカ大統領になるのはすごく大きな「前進」として捉えられるのはわかる。
奴隷制度がなくなってから、さらに100年以上もずっと黒人差別があった国で、そこからどう脱却するのか、という場合は、やっぱり同じ言説を利用して越えていかなきゃいけないこともあるのかなぁ、と。

そして。差別っていうと、日本のことも考えてしまう。
彼が小学校に行って、生徒に「日本にある差別ってなんですか?」って聞いたら、
いっせいに「日本に差別はない~」って答えが返ってきたとのこと。

たしかに、そういう答えになるだろう、と想像がついてしまうこの状況。
差別されている人たちがまだ「見えない」状態にあるっていうことが一番の問題じゃないかな。
それこそ、日本社会において、「周縁化」されてるだけじゃなくて、「無視」されている。
最近読んでるガッサン・ハージの議論と重ねて考えたら、
つまり日本という国家の管理者、支配者っていうのは「日本人」というある意味での「人種」であるべき、っていう恐るべき意識が根底にあるんだろうな。

そもそも差別がない国なんてない。それがまったくない社会が理想なのかどうかはおいといても、それを認識しない、できない、というところにいまだにいるというのが怖い。

オバマが選ばれたことで、アメリカでこういう問題がいい方向に変化していくのか、それはこれからわかること。とりあえずしぶとい意識の変化、その第一歩であることは間違いないんでしょうねー。