Sunday, December 28, 2008

今年の漢字。


ちょうど応募していたときに清水寺に行った私たちは『言』って書いた。
政界での多すぎる失言、オバマの大統領宣言。いろんなところで、「言葉」というものが重要だった気がする。
日本は国際社会においてもっと「発言」をしろと求められている。


加藤周一の『言葉と戦車』という本があるそうで。
読もうと思っても、書店にないし、アマゾンにも3万円(!)のしかなくて。
図書館では予約まで入ってる。
NHKのドキュメンタリーでやってて、読もうと思ったんだけど。


言葉の影響力と暴力(権力)の問題を提示。
プラハの春のときのソ連軍と市民の関係、60年代に世界的に広まった学生運動(東大全共闘)や平和思想なんかを分析している、そうです。


ドキュメンタリーの中で印象的だったのは、彼が『閉塞感』という言葉を使って現代を表していたこと。
すべてが細分化され、システム化され、そこに人が見えてこない、と。

現代。
金融危機にしても、格差問題にしても、無差別殺人事件にしても、すべてはつながっていて、そしてそれは自分の生活の中に深く浸透していて、もはや逃げられるものではなくなっている。

それでもそれはどこか「遠くの出来事、他人事」と感じることが可能な現象だったりもする。
こういう不思議な状態が、社会が言葉を失ったような、そんな「閉塞感」を持っているということかな。
人ではなくてお金が先にものを言う。誰に何を言ったらいいのか。言葉の重みやその力が薄れてきてはいないか。


これから先、何がどうやって「変わって」いくのか・・・「変えていくべき」なのか。

Monday, December 08, 2008

national

社会学っていうのも、やっぱりナショナルな言説の中で作られてきたものだからいろんな限界がある。社会という概念そもそもが、「国」とは切っても切れない関係の中で構築されてきたわけだし。
グローバリゼーションっていうのは、そのナショナルなものを越えて起きている部分が多いと思うけど、それを学問の領域で扱って、思考することって本当に難しい。

で、もっと身近な話をすると、たとえば私。
私は「外国で生活」をしてきた人間。
だからなのか、私が何か意見をすると、周りの人たちは、「あ、この子はフランスにいたからこういう考え方するんだ」とか「あ、フランスにいたけど、こういうとこは日本的な考え方なんだ」とか思って聞いているようだ。
果たして私の考えていることってそんなふうに集約されうるのか?そもそも私という一個人が発言するレベルにおいての「フランス的な考え方」とか「日本的な考え方」ってなんだ。それに100歩譲ってそういうものがあったとしても、それがいくつか重なったら、まったく違うものになるんじゃない?

誰かが何かを意見するとき。それが誰であっても、なんだか話を聞く側っていうのは必ず「この人は何人」という認識を持って聞いている気がする。たとえばフランス人が発言して、それがたまたま自分にとって目新しいと、「あ、フランス人ってこういう考え方するんだ、日本人とは違うなぁ」、みたいな感想を持つことって普通にありえる。同じ意見を他の日本人が持ってる可能性だってあるのに。

私という存在にフィルターみたいなものがかかっていて、それが結局「国籍」な気がする。
もちろんどこで教育されたか、っていうのは、人格形成とか思考形成にとっては重要な要因だとは思う。でもそれを誰もが自分なりに消化してるわけで、ひとつの国に集約されるような単純なものじゃないと思う。

だからどうしろ、っていうわけじゃないし、そもそも自分だってそういう風に見てしまうことが多々ある。そんなときに、ふとこのことに気づけるか、ってとこかな。

Tuesday, December 02, 2008

秋色


秋の紅葉を満喫してきた。
京都-奈良-大阪。

ものすごい人に圧倒されながらも、すごく思い出になる旅だった。
秋の色はすごく好き。
写真も撮ってみたけど、そこには収まらない。
あの空気と空間がなければ意味がない。

祇園では多分本物の舞妓さんとすれ違った。
昼間見た舞妓に扮する観光客たちとは全く違うオーラを漂わせていた彼女。
誰もいない茶屋がひっそりと並ぶ細い道、
夕暮れどき、突然彼女は現れた。
そして、あ。と息を呑んだ瞬間に後ろの狭い小道に消えていった。
あれは絶対本物。と二人は確信。
あんなに雰囲気を漂わせて歩く人って見たことないかも。

奈良は実は初めて行った。
こんなに鹿がいるとは・・・。
若草山のてっぺんから見た奈良も思い出。

大阪は、ごみごみした雰囲気と、
味を出してる市場のおっちゃん、おばちゃんたちが思い出かな。
人間くさいところだった。
そして大阪駅のでかさにびっくり。
東京から来て何言ってるの、といわれたけど、
大阪って看板とかが低いのかもしれない。

秋を満喫してきました。